こんにちは、つかさです。
前回は「社会が見直すべきこと【前編】」にて、僕なりの考え方をお話ししました。
まだ読んでいない方は、まずこちらの記事を読んでみてください。
今日は「学校がすべてではない」ということについてお話ししたいと思います。
「学校がすべてではない」
みなさんは何のために学校に通うか知っていますか?
僕が中学生の頃に読んだ「サウスバウンド」という小説の一言を今でも忘れません。
「学校は国の都合のいい人間をつくる場所だから、行かなくていい」
中学生の時の僕はこの一言に衝撃を受けました。
「今まで、学校は行って当たり前の場所。」
「行かないなんて、ありえない。」
そんな考え方をもっていたので、今でもこの文を読んだときのインパクトは忘れません。
そのときに、「そんなバカな。学校には行かなきゃいけない」と反論をしたいとは思いませんでした。
「あ、こんな考え方があるんだ」と感銘を受けたほどです。
そして大人になった今、この言葉は本当にその通りだなと改めて認識しました。
学校は
企業や公務員を育成する場です。
決まった時間に会社に出社して、決められた時間内に仕事を終え、退社する。
決まった時間に学校に登校して、決められた授業を受けて、下校する。
戦後、ほとんどの会社はフレックスタイムなど導入せず、決められた時間にはたらくという制度を導入しているところばかりでした。
学校という制度も戦後から大きく変わっているところはありません。
つまり、学校は日本の社会人に合わせた大人を育成する場なのです。
だからと言って、学校に行かなくてもいいとは思いません。
学校に行けば人間にとって必要なスキル(コミュニケーション能力、対人能力、読み書きなど)が身に付きます。
行かなければ家の中で過ごす機会が多くなり、少しの外出でひどく疲れたり、嫌なことがあったらすぐにダメになったりするかもしれません。
しかし、現在は学校に登校できない生徒も多くなってきました。
昔よりも心の病気について研究が進み、それを認めていくような方針が世界中で始まりました。
そして、不登校の生徒にも対応できる機関・学校が増え始めました。
1度も学校に行かずに、通信教育などを通じて高校卒業の資格が得られたり、家にいてもオンラインを利用して仕事が出来たりする時代になりました。
また、公立の学校も、1日も学校に登校できていなくても、卒業することはできます。
つまり、公立の学校に通学しなくても、大人になり、社会人になることができる環境が整い始めているのです。
そこで、僕が今回の中学生が自殺してしまった件について思うことは、
「学校がすべてではない。学校に行かなくても、生きていける道はたくさんある」ことをしっかりと子どもに伝えられなかった親に原因があると思います。
人によると思いますが、学校の先生はこのような考え方を子どもたちになかなか伝えられません。
なぜなら、子どもはどのように解釈するかわからないからです。
子どもが「今日、学校の先生が学校来なくていいって言ってたー」なんて親に言えば,クレームものです。
だから、親がしっかり「学校に行くことがすべてではない」と教えないといけないし、親もこのような考え方をもっている必要があります。
子どもは学校が成長させるものではありません。
学校、そして親が成長させるものです。
そのため、今回の悲しい事件を学校のせいだけにするのはちがうと考えています。
親、地域など、いろいろなところに責任はあると思います。
二度とこのようなことが起こらないようになってほしいですが、現実は難しいでしょう。
学校にだけ「こうしろ!」と要望を伝えるのも少し違う気がします。
保護者にもいろいろな考え方をもつように国やマスコミは発信していく必要があると僕は思っています。