こんにちは、つかさです。
先日は大変悲しい事件がありました。
それは、名古屋市の中学生がSNSに関わるいじめで自殺をしてしまったことです。
僕自身は「いじめ」はいじめた側が100%悪いと悪いと考えています。
どんなにいじめられた側に非があっても、いじめは絶対にしてはいけないことです。
個人で「関わらない」のと、集団で「関わらない」のでは意味が全く違ってきます。
そして、このような事件があると、テレビのニュースやインターネットなどマスコミが、「学校の管理不足」、「教育委員会はなにをやっているんだ!」と騒ぎ立てます。
僕はいつも「そうじゃないだろ」と思っています。
今日は僕が考えている「社会が見直すべきこと」(前編)についてと、「学校がすべてではない」(後編)ということについてお話ししたいと思います。
「社会が見直すべきこと」について
みなさん、「いじめ」ってなんだと思いますか?
集団で無視したり、SNS上で悪口を言われたり、机や物に落書きをしたりするなど、いろいろな事例が挙げられますが、「これをしたらいじめ!」と決まっていません。
唯一、いじめと定義されているのは
「いじめられた」と思ったら、それは「いじめ」になる
ということです。
つまり、極端なことを言えば「消しゴム勝手に持っていかれた!」
→①「返せよ!バカ!」…いじめではない
→②「先生、消しゴムとられました!」…いじめではない
→③「僕、いじめられているのかな」…いじめ
→④「お母さん、今日消しゴム持っていかれた」
「あんた、それいじめられてるんじゃない?」
「いじめられてるのかな」…いじめ
もう、正直なんでも「いじめらてるかもしれない」と思ったら「いじめ」なんです。
消しゴムを取った側が「いじめるつもりじゃない、勝手にとっていったことはごめんなさい」と言っても、被害を受けた側が「いじめられた」と思った以上、この子には「いじめてはいけない」という指導をしなければいけません。
多くのいじめは被害者と被疑者に「ギャップ」が生じます。
このギャップに現場の先生たちは苦労しているのだと思います。
子どもや保護者の中にも、被害妄想の激しい人はたくさんいると思います。
ただでさえ、現場の仕事は手一杯(むしろ、崩壊している)の中で、被害妄想の激しい家庭の面倒を1つ1つ見ていたら切りがないのが現実です。
ましてや、SNSのトラブルを学校が把握できるわけがありません。
そもそも、学校外の出来事を「学校の責任」にするのはおかしな話です。
だって、学校は「SNSを使いなさい」と指導していないからです。
ここで、僕が考える「社会が見直すべきこと」について結論を述べると、
子どもをいじめから守るためには、「親が子どもを守る力をもっと身に付けるべき」です。
誰でも、誰かに責任を押し付けることができるならそうしたいと思います。
「いじめ」については「学校」に押し付けちゃえばいいという社会の考え方は見直すべきです。
結局は、家庭で子どもの「SOS」を受け取れるだけの家庭環境をつくれなかった親の責任だと僕は思います。
どんな家庭だって完璧は不可能です。
だから、親も常に試行錯誤を繰り返し、勉強をして、しっかりとした家庭を築き上げていく必要があります。
それを、「仕事が忙しいから」、「子どもの世話は学校でしょ」と家庭を築くことを怠けている日本の家庭は何割を占めるのでしょうか。
子どもが小さい頃のしつけは親が勢いと若さで押し付けられますが、思春期になると反抗してくるので、親もなかなかしつけをやりにくい場面も出てくると思います。
それでも、堂々と子どもと戦っていける親がいる家庭はどれくらいあるのでしょうか。
いじめられてから「我が子がいじめを受けたのに学校は何をしているんだ!」と「子どものことを考えていますよ」と急にアピールし始める親はきっとたくさんいると思います。
僕はもっと「子どもを守る力を身に付けようと、親が家庭について勉強する社会」に向かっていく必要があると思います。
本から学んでもいいし、YouTubeでもいいです。
家庭ごとに悩みは違うかもしれませんが、それでも全くの情報0よりはいいでしょう。
僕の記事を読んで、「いや、いじめは学校の責任に決まっている!学校で面倒を見る必要がある!」と反感を買っているかもしれません。
それはそれで仕方ないと思います。
あくまで、僕なりの考えです。
次回は後編の「学校がすべてではない」という内容についてお話ししようと思います。